ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ワールドアパート」という楽曲の歌詞に
というフレーズがあります。
遠く向こうでビルに虚しさが刺さって
六畳のアパートの現実が麻痺した
というフレーズがあります。
私は特にこのバンドのファンというわけではないので、この曲の本来の解釈は知りません。
ですが、初めてこの曲を聴いたときは直感的に9.11のことを歌っているのだと思いました。
ですが、初めてこの曲を聴いたときは直感的に9.11のことを歌っているのだと思いました。
9.11という出来事の私なりの解釈
私にとって9.11というのは現実を麻痺させるものではなく、自分がそれまで生きていた世界の根幹を突き崩した事件でした。
毎年、この日が来ると、そんな9.11が奇しくも自分の誕生日と同じ日だということの意味を否応なしに考えてしまいます。
自分が生まれたことが祝福されるべき日が、数千の人々の命の終焉と、その後引き起こされた一連の戦争により失われた数万の命と密接に関係していることを、とても無関係だと切り捨てられないのです。
そう思ったからこそ、当時の私は自分なりに考え、悩み抜きました。
そうして出した答えが、自分は国際協力の世界で生きよう、この不条理な世界に怒りをぶつける代わりに自分が世界を変えていこうというものでした。
それから13年
私は今、青年海外協力隊という立場で不条理な世界に一石を投じようともがいています。
抱えていた怒りは、自分が歩んできた道の途中で、他の諸々の思想と混ざり、溶け合って随分と変わりました。
(というよりも、自分の掌の大きさを知るうちに、自分に出来ることと出来ないことをはっきり分けるようになったからかもしれません。)
(というよりも、自分の掌の大きさを知るうちに、自分に出来ることと出来ないことをはっきり分けるようになったからかもしれません。)
今、私がこの身を賭して取り組みたいことは「この星の環境を在るべき姿に戻して、きちんと次の世代に渡したい」ということです。
私たち人類は学習しない生き物です
某国の政府は事故の処理すらままならないのに原発を再び動かそうとしているし、某国の某州では自分たちは一切自給しない食肉を海外から輸入して貪り、また他の国では自国の領土内の資源を食いつぶすのでは飽き足らず近隣の国からゴミさえも輸入して資源として扱おうとしています。
そんな行為が手を変え品を変え、絶えることなく延々と行われているというのが我々人類の営みです。
宇宙空間から国境は見えるか?
話は変わりますが、私は昔から宇宙について興味だけはあり、それについての本を読んだりネットで記事を集めたりしてきました。
とはいえ、元々理系科目が苦手なのもあって知識としては全然身についていませんが。
ただ、それでも私に言えることは、地球が今この状態で存在しているというのは、それこそ超天文学的確率的な奇跡であること、宇宙から見た地球は美しく、人間が資源を奪い合うために必死になって引いているような国境線はどこにも見当たらないということです。
それと、地球は途方もないくらいに小さいということです。
そんなことを考えていたら、この理不尽な世界への怒りよりも何よりも、この星の環境を元に戻したいと考えるようになっていました。
中でも、人類がこれまで吐き出し続けてきた廃棄物という負の遺産を、私がどうにかしなければと考えました。
とはいえ、先進国なら他の誰かがどうにかしてくれるだろうとも考えました。
その結果、私は誰も意に介さないような開発途上国のゴミ処理に携わろうと決めました。
その結果、私は誰も意に介さないような開発途上国のゴミ処理に携わろうと決めました。
13年も経つのに、私の出した結論は随分と陳腐だということは承知の上。
けれども奇跡のような確率で生まれた星に、やっぱり奇跡のような確率で命を授かり今までどうにか生きてこられたからには、その導き出した答えを大事にして歩んでいきたいと思うのです。
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