一言で要約してしまうと、「この州では権力者だけが発展したがっている」ということです。
島の一般人たち自身が経済的に豊かになる気がないのなら、もう放っておけばいいじゃないかと私は考えてしまいます。
海に囲まれた島で暮らすことは大変なことじゃない
任地のウエノ島を灯台から見下ろす |
任地のウエノ島がその中に位置するチューク諸島は248もの島々で構成されています。
個々の島はそれほど大きくありません。
(参考:チュークって何?)
土壌が限られているため農業は発達してこなかったのですが、その代わりに人々は環礁に囲まれた豊かな海で魚介類を獲って生きてきました。
それに加えて、農業などせずとも自生しているブレッドフルーツ、タピオカ、ココナッツ、柑橘類などなど少なくともフルーツには事欠きません。
(参考:チュークで最もポピュラーな食べ物、その名はブレッドフルーツ)
また、少ないながらもキュウリ、ナス、オクラ、空芯菜等の熱帯性の野菜も収穫できます。
食糧を安定して手に入れるという点においては、任地のチューク州は何も生活に困ることはありません。
誰が「低開発」と決めるのか
食べ物の確保が時に困難な国がアフリカやアジアにあるというのに、どうしてそれらの国と任地が同じように開発途上国のカテゴリーに入れられているのかが不思議でなりません。
もちろん、開発途上国の定義は食料の有る無しで決められているわけではありません。
こうした国はOECD(経済協力開発機構)の開発援助委員会によって1人当たりの国民総所得に基づいて決められています。
なるほど、そうした意味ではミクロネシア連邦は「低開発」ということになるのかもしれません。
しかも、世界銀行の統計によれば、ミクロネシア連邦はバングラデシュ、ブータン、カメルーン等の国々と同様に低中位所得国にカテゴライズされています。
低開発、待ったなし!じゃないですか。
誰が「発展」したいのか
じゃあ国民(州民)みんなで発展しよう!となるのかと思えば、全然そんなことはありません。
私が見ている限り、任地で一生懸命働いて豊かになろうなんて人はほとんどいないのです。
州の組織である私の配属先の同僚たちですら一日中インターネットをするばかりですよ。
町中を日中に歩いてみても、働きもせずにぼーっと過ごしている人ばかりが目につきます。
他の開発途上国との大きな違いは、たとえ日中ボーっと過ごしたとしても食うに困らないという点ではないでしょうか。
しかも、チュークの若者は職を求めてグアムやハワイに行き、そこで稼いだお金を親や親族に送金しています。
(決して大きな額ではないと思われます。)
この構造はフィリピンと似ているのですが、少なくとも私がいたマニラの人々は勉強熱心で、必要に応じて自分でビジネスを始めようというガッツのある人が多かったような気がします。
マーケットが非常に小さいということも影響しているのでしょうが、だとしてもチュークの人々は経済的に「発展」することにさほど興味はない印象があります。
では一体誰が「経済発展」を絹の御旗にして、国際機関や米国あるいは中国、そして日本から資金を得ているのでしょうか?
「金は持っている人間のところに集まる」は真理
それは各行政府の長や政治家、あるいは商業で成功したビジネスオーナーです。
結局のところ日本も同様かもしれませんが、金を持っている人が更なる欲望を満たすために発展を求めるのです。
良く言えば自分の欲求に忠実ですが、悪く言えば身の程知らずです。
チュークの何が問題か
結局、先進国や国際機関というドナーからの開発援助は権力者を潤すためのものにしかなっていません。
その一方で、政治家や権力者がチュークで行ってきた政策は、伝統を保全せず、アメリカの文化ばかりを無批判に受け入れ、結果として何の特色もない国(州)にしてきたことでした。
ここの人達はもっと自分たちが持っている資源や文化を自覚し、それを守っていくことに注意するようにならないといけないのです。
ただし、チュークは戦時中には日本に占領されていた土地です。
その文脈を無視してチュークの開発を語った気になるのはフェアじゃないでしょう。
近々、日本統治時代のチュークについても書きたいと思います。
勢いで書いたので乱文になっていたらすみません・・・・。
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